鳥には翼があります。人間にはありません。
スケーターはスケボーに乗っています。あの人は歩いています。
スケボーに乗った人間、これはもはや、人間ではありません。言うならば、スケボーサウルスです。
地球は、人間とスケボーサウルスが生きる時代になりました。
スケボーサウルスは縦横無尽に地球上を滑りまくり、アスファルトとコンクリートがあふれるこの時代を謳歌しています。一方、人間は歩いていますが、楽しそうには見えません。
歩いている方が自由な両足を使えるはずなのに。
スケートボードって自由だ!
僕もついスケートボードをこうやって表現してしまうのですが、実はある意味、こんなに不自由で難しい遊びはなかなかない。
基本のトリックのオーリーでさえもなかなか出来ないし、数cmの段差でつまづいて転んじゃうし・・・。
「これのどこが自由なんだよ・・・。」
スケボーを手に入れた初日、あまりにも難しいスケートボードに少し凹んでしまう人もいる。
どうして周りの上手い人やプロみたいに自分は出来ないんだろう?
そんな風に思っていたら、きっとそれはスキルの問題じゃなくて気持ちの問題。
スケボーに「自分の足」のような自由はありません。でも、「自分の足」では出来ない無限の楽しみを与えてくれます。
犬や猫が自分の尻尾を追い掛け回して遊んでいる。人間にはその楽しさは分かりません。尻尾がありませんから。
スケーターが、高さ10cm程度の車止めを飛び越えようと頑張っています。何度目かのトライで飛び越えた時、スケーターはとても楽しそうです。スケーターじゃない人にはその楽しさは分かりません。スケボーに乗っていませんから。
スケボーが街中で思う存分楽しめるようになったのは、実はデッキではなくて、ウィールの進化のおかげなんですけど、その話はまた別の機会にすることとして、デッキ(板の部分)も大きく進化しています。
木製であることは変わりないけど、製造方法や形状は、初期のデッキと比べると随分進化しました。
でも、この進化というのは、その時代のスケボーの「スタイル」に合わせて進化しています。昔のデッキは、ノーズ(前)とテール(後ろ)がハッキリと判別出来たけど、現在のデッキは、あまり違いがなくなってきている。これは、スイッチスタンスがスケーターの個性を表す重要なスタイルとなっているからです。つまり、デッキの形が先ではなく、スケーターのスタイルが先にあって、デッキがそれを追いかけるように進化しているという感じ。
どれだけデッキを改良しても、こんなスタイルで滑ってよ、と提案してもスケーターにとっては、どこ吹く風。「そんなの自分でやるからほっといて」。
今までにも、デッキに前足を固定してオーリーをしやすくしたデッキや、よく弾くようにテールに金属を使用したデッキなど、スケボーを簡単にしようとする商品が発売されたりしましたが、ま、結果はみなさんの考える通り。クールなスケーターは使いませんでした。
スケボーサウルスなんていう、少し斜め上の表現になってしまいましたが、スケボーを道具と捉えるよりも、足の裏に生えてきた新しい体の一部と捉えると良いのかな?と思ったのです。
するとスケボーに乗っていない人とは、全く違う視点と価値観を手に入れて、それまでの自由とは違う、新しい自由が現れます。
「猫って普段出かけて行ってどこで何してるんだろう?」って思うけど、猫にならない限り分からない。
スケボーサウルスには、スケボーに乗ればなれます。