スケボーからいかがわしさをなくすと、全部が終わっちゃうと思う。

スケボーからいかがわしさをなくすと、全部が終わっちゃうと思う。

どーも!イナケンです。

こないだTwitterで、こんな記事を見つけました。

旅館街からストリップ小屋のような、いわゆる「いかがわしい」お店をなくしてイメージアップをしようとした結果、いかがわしくないお店にもお客さんが来なくなって、旅館街ごと廃れていってしまったという話。

ツイート主の佐々木俊尚さんは、出版界も同じだとツイートされてますが、スケボーも同じじゃないかな。

オリンピック競技になったことで、

「スケーターも努力してるんだな」

「観戦する楽しみもあるんだな。」

「スケーターの価値観、実は爽やか」

「練習できるように公共パークを増やそう」

という声や意見を聞いたり、目にしたりすることが多くなって良いことだなと思うけど、「いかがわしさ」をなくす必要はないと思う。

酒、タバコ、タトゥーみたいなところがスケボーのいかがわしさとして思い浮かぶけど、ストリートスケートが、最たるものかなと思う。(本当は、いかがわしいとはちょっと違うけど、旅館街の話の流れでいかがわしいと表現してるよ)

「酒を飲みながらストリートスケートをする」なんて、スケートボードのカルチャーを知らない人からすると、かなりヤバい人だと思う。

だけど、そんなヤバい人たちが、スケボーのトリックを磨き、カルチャーを作り上げてきた。

と言うと、「いやいや、これからは、競技者が新しいトリックを作り、面白いゲームにしていくよ」という意見も出てくると思うけど、そのトリックやゲームは、おそらく、スケーターの興味をなくすものだと思う。

興味をなくしても、ストリートスケートのカルチャーが残っていればいいけど、もしも、行き場所がなかったら、さっきの旅館街のようになってしまうのではないか。

少し悲観的だけど、僕たちが思い浮かべるようなストリートスケートは、今後なくなっていくと思う。

特に日本に、アメリカのようなストリートスケートカルチャーが根付くのは、不可能だと思っている。

だけど、ストリートスケートカルチャーの「精神」は、引き継いでいける。

ストリートスケートのカルチャーってなんだ?っていうのは、人それぞれだけど、僕が残していきたいと思っているのは、DIY精神と独立精神だ。

スケートボードは、DIYと独立の精神で磨かれてきた文化だと思う。

与えられることを嫌い、認められようとも思わず、純粋にスケボーによる快楽を追求してきたのがスケーターだ。

陸でもサーフィンしたいというサーファーのイカれた情熱が、今もスケーターの背中を押している。

サーファーのイカれた情熱を知るなら、↓この映画だよー。

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