スケートパークがあるのに、どうして街で滑りたいのか?

スケートパークがあるのに、どうして街で滑りたいのか?

どうも!稲垣です。

スケートボードが東京オリンピックの正式種目に決定して以来、スケーターの間では、↓こんな会話や議論がされることが多くなりました。

「スケボーは、スポーツとカルチャーに二極化していくんじゃないのか?」

僕も、たまに考えたりするんですけど、二極化というと、お互いが、どんどん離れていってしまって別物になってしまうような感じがしますよね。

スポーツとしてのスケボーが、どんどん進んだ場合、どんな風になってしまうんだろう。

フィギュアスケートのように「演技」として採点するようになるのか?

高さや速さを競う陸上競技みたいになるのか?

ルール内のスキマを狙って、ずる賢く勝つこともアリになるのか?

逆にカルチャーとしてのスケボーが、どんどん進んでいった場合、どんな風になるんだろう?

町中で好き勝手滑って、警察や警備員に追いかけ回されたり、トラブルを起こすことがカッコいいという風になってしまうのか?

暴力的で反社会的なスタイルこそがスケボーだっていうことになっていくのか?

 

僕の場合は、そもそもスポーツとしてのスケボーにあんまり興味がないので、もしも、どんどん演技化、競技化が進んでいってしまった場合でも、そっちはどうでも良いかなと思っていたりします。

問題は、ストリートカルチャーとしてのスケボーが、あまりにも極端に先鋭的にならないで欲しいなぁという思いと、スポーツとして金銭的、社会的に成功したスケボーから見た時に、お金にならない少数派のストリートスケートのスケボーには価値がないっていう風に見下されるのも嫌だなぁと思ったりします。

きっとスポーツ化したスケボーの進化は、もの凄く速いです。ルールが分かりやすくなり、スケボーを知らない人が見ても、勝ち負けが判断できるようになれば、競技人口も増えます。

競技人口が増えれば、市場も大きくなり、勝てるスケーター、ファンが多いスケーターは、きっとプロスポーツ選手のように大金を手に入れます。大金は、誰にでも分かるゴールなので、さらに沢山の人がスポーツ化したスケボーを始めると思います。

逆に、カルチャーとしてのスケボーは、ほとんどの人にとっては、価値が分かりにくいものです。

「スケートパークという安全に誰にも邪魔されず楽しめる場所があるのに、どうして街で滑りたいのか?」と思っている人は沢山いると思います。

そして、僕たちスケーターも、明確にこの疑問に対する答えが見つからないまま滑ってきていると思うんですよね。僕自身も、相手を納得させられる答えは持っていないです。

だけど、そろそろ、この答えを出さないといけないのかなぁとも思ったりもします。

答えといっても、相手を説得したり、納得させたりするような論理や屁理屈ではダメだと思うんですよね。スケーターの行動とか滑り方とか楽しみ方自体を変化させて、社会と共存しながら生き残っていかないと、スポーツ化したスケボーに飲み込まれてしまいます。

スケートボードは、サーファーが陸でもサーフィンを楽しみたいと思って作った遊びです。

これまでに時代の変化に合わせて自分たちの手でパーツやスタイルを進化させながら、生き残ってきたカルチャーです。

これから、スケボーがスポーツ化していく時代に、どうやってストリートスケートが進化して生き残っていくのか、僕は、楽しみです。

夜な夜な↓こういう最先端のスケートスタイルを見ながら、スケボーの未来について考えてみたりしています。

今日は以上です!

 

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