スケボーを「暇つぶし」として楽しんでいきたい理由

スケーターが叱られる=世界は平和

どうも!稲垣です。

僕は、今年で41歳になりました。僕らの世代にとってのスケボーって、完全に不良の遊びといいますか、街で集まって滑ったりしていたら、ほとんどの人は「怖い」と思っていたと思うんですね。

実際に怖い人もいたりしたんですけど、ほとんどは、純粋にスケボーという遊びが好きで、ただただ自分のスキルアップに一生懸命でした。

最近では、スケートボードがオリンピック競技に決定して、メダルに向かってがんばっているスケーターがいたり、選手を育成するための大会や講習なんかも開かれていたり、スケボーをしたことがない親御さんが子供にスケボーを買い与えて練習させていたりします。

ここ1年くらいで一気にスケボーの周辺が変化しているのを実感します。

環境の変化と競技人口の増加で、スケボーをやる理由やスケボーに対する姿勢も色々変わってきているなぁと感じています。

そんな時代になって、僕が思っていることはですね、別にスケボーですごいこともしないし、スケボーで何かが変わることもないし、あんまりスケボーに期待し過ぎるのってどうなのかなぁという感じです。

先日、ツイッターで↓こんなことをつぶやきました。

戦争や災害が起きると、遊んでいたり、ムダなことをする余裕がなくなります。生きるために生きるという状態になります。

もしも、スケボーが、そんな時に必要なものになってしまったら、今、僕たちが楽しんでいるような感じでスケボーをすることができるかというとムリだと思うんですね。

スケーターが街でちょっとした悪さをして、お巡りさんや大人に叱られている。これって、平和だからこその出来事です。

スケーターが楽しむためじゃなくて、世のため人のためにやらなきゃならないものになってしまったら、状況はかなり悪い状態です。

スケボーなんて、良い意味でしょせん遊びで、この世になくても別にいいんだけど、そんなムダなことに熱中したり、夢を見たり、笑ったり、仕事になったりしているなんて、最高だなぁと思っています。

これからスケボーを始める人や、始めたばかりの人だと、どうしても肩に力が入っちゃって、スケボー!スケボー!スケボー!って感じで、ものすごくスケボーを価値あるものにしちゃったりするんですね。僕も若い時にそんな時期がありました。(価値がないって言ってるわけじゃないですよ)

だけど、最近は、スケボーに過度な期待はしていないというか、スケボーが子供の発育に良いとか、スケボーはトレーニングになるとか、これからスケボーは市民権を得てスポーツになっていくとか、スケボーが街を変えるとか、そういうエラそうな話には、あんまりピンと来ません。

スケボーなんて、人生の暇つぶし。やらなくてもいいけど、やってみたら最高の暇つぶしだった。ずっと暇つぶししていたいから、頼むから世界がずっと平和であって欲しいし、自分もできる限り平和であるようにしようと、そんな風に思っています。

ドラえもんで、いつもはいじめっ子のジャイアンが力強い仲間になる時あるじゃないですか。あれって、展開的にはかなりピンチなわけで、本当は、ジャイアンがのび太をいじめているくらいのほうが、世界は平和ってことだと思うんですよね。(いじめはダメだよ)

なので、困っているからスケーターの手でも借りたいなんてことになったり、スケボーみたいな無意味なことをやっているなんてけしからん!なんてことになると、この世はかなりピンチ状態。スケーターが、これからも叱られ続ける方が、世界は平和ということなので、スケーターは、がんばっていきたいところですね。

今日は以上です。

 

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